【医療×政策】メドレー・豊田剛一郎と考える“医療界のパラダイムシフト”の起こし方。

本連載『ミライのNewPublic』は、政策研究者の小田切未来さんがファシリテーターを務め、「将来の公共の在り方」を各分野の有識者・トップランナーと様々な観点で対談していく連続企画。

第八回目のゲストとして、ヘルステック分野をリードする株式会社メドレーの豊田剛一郎氏をお迎えし、医師から企業家に転身した豊田氏ならではの視点から、日本の医療界におけるDXの現状とパラダイムシフトの重要性についてお聞きしていきます。

医師から企業家へのキャリアステップ

小田切 未来氏(以下、小田切):かつては東京大学の医学部のキャリアといえば、医師としてずっと活躍していくイメージが強く、最近ようやく医師以外の道に進む人も増えてきた印象があります。

豊田さん自身、医師以外のキャリアを進むフロントランナーのうちの一人ですが、どのように医師の道からベンチャーの企業家にたどり着いたのでしょう?

小田切未来(おだぎり・みらい)
1982年生まれ。政策研究者。東京大学大学院公共政策学教育部修了。米コロンビア大学国際公共政策大学院修了、修士(公共政策学・経済政策管理)。主に経済政策を専門とする。2007年経済産業省入省(旧:国家一種経済職試験合格)後、複数課室に勤務。2015年にNewsPicks社の政治・政策分野のプロピッカーに選出。2018年に一般社団法人Public Meets Innovationを設立し、Co-Founder・理事。 2020年より東京大学未来ビジョン研究センター特任研究員に着任するとともに、副学長他のサポートなどもする。株式会社Publink社の政策プロフェッショナルとして、プロパブリンガルに選出されるとともに、次世代リーダーとの交流会の主催、公共経営・政策に関する講演やネット記事の執筆などもする。
※発言は、所属組織の見解を示すものではなく、個人的見解です。

豊田 剛一郎(以下、豊田):私は脳に興味があって医学部に入り、脳外科医になりたいと在学時から臨床をやる気まんまんでした。実際に卒業後は浜松市にある病院で初期研修を受け、3年目から脳外科として働き、アメリカの病院に留学もしました。

病院での研修や仕事は大変でした。反面、面白さもやりがいもありました。

一方、臨床の現場に出て早い段階で、日本の医療システムの非効率さと、それを”変えていこうとする気配”がないことが気になっていて。

「医療システムの非効率さをそのままにしていると、20年、30年後、自分たちの世代にツケが回ってくんじゃないか」と思うようになったんです。

医療システムで生じるツケは、患者さんの不利益につながってしまいます。医療界の諸先輩方と話をすると、みなさん同じ感覚を持ってはいるんです。けど、かといってアクションに繋がるわけではない。このことも個人的にずっと気になっていました。

それで、アメリカに留学に行くことが決まった段階で、臨床医としての道とは別に「日本の医療現場をどのようにしていけばよいか、自分がどのように貢献できるのか」といったことも探りたいと客観的に考えたんです。

豊田 剛一郎(とよだ・ごういちろう)
1984年生まれ。株式会社メドレー取締役医師。2009年に東京大学医学部を卒業後、聖隷浜松病院にて初期臨床研修を終え、NTT東日本関東病院にて脳外科医として勤務。2012年に渡米しChildrenʼ s Hospital of Michiganに留学後、2013年にマッキンゼー・アンド・カンパニーに入社。コンサルタントとして働いた後、2015年に株式会社メドレーに参画。

豊田:当時は、留学先のアメリカで医者をやることに夢やロマンも感じていました。

ただ同時に、医療現場を離れた立場で医療の変革に関わっていくことに大きな可能性を感じ、当時の上司たちが背中を押してくれたこともあって、マッキンゼー・アンド・カンパニーに入社するに至りました。

マッキンゼーには1年半務め、世界的に有名なコンサルティングファームがどういった仕組みで動いているのかを垣間見れたことは貴重な経験です。

その中でコンサルティングは「今ある組織の課題を解決する」ための仕組みであるため、日本の医療システムを根本から変えるという視点から考えると、別の考え方や動き方をする必要があることも理解しました。

それで、留学当時に連絡をとっていた小学校の学習塾の同級生である瀧口浩平(株式会社メドレー創業者、代表取締役社長)から誘ってもらう形で、メドレーで日本の医療を変える挑戦をすることにしたんです。

小田切:豊田さんのお父様は、同じく東京大学を卒業されて当時の大蔵省に入省後、政治家に転身されています。親のキャリアや考え方から影響を受ける方もいますが、豊田さんの場合はいかがでしょう?

豊田:私の場合は、父親から「こういう風にしなさい」と言われたことがありませんし、父親の政治の仕事をサポートしたこともありません。あくまで私は、私自身の考え方で生きてきましたから、親から直接の影響はあまり受けていないと思っています。

ですが、潜在的にはある程度の影響があったのかなと感じます。

というのも、父親の取材記事で見つけた話で、(父親が)大蔵省にいた時に日本の財政問題に危機感を覚えて「このままではいけない」と考えて、政治家に転身したというんです。これは、私が日本の医療界に対して危機感を覚えて企業家に転身したのと、ほぼ同じ思考回路で。

影響を受けていないと思いつつも、こういった考え方には共通する部分があったということを、後から知ってとても驚きました。

小田切:やはり見えない部分で影響があったのでしょうね。

ちなみに豊田さんの「ハード・シングス」についても伺ってもいいですか。

豊田:研修医や脳外科医をやっていた頃は、今と違って医者の労働時間等にあまり制限がない時代で、仕事が非常にハードでしたね。365日のうち350日くらいは病院に行っていましたし、3日に1度は泊まって仕事しているような状況でした。

心身共に辛かったですが、自分が選んだ道でもありましたので、歯を食いしばって頑張っていました。

この経験は今の糧にもなっていると思います。

小田切:肉体的にも精神的にも、大変だったんですね。

豊田:そうですね。人の命を扱う仕事ですし、手術ひとつひとつが難易度が高くリスクもあるものですから、相当なプレッシャーもありました。

医者は自己管理が重要ですけど、それでも毎日のようにお腹を壊していました。でも、こういった経験をしてきたからこそ、私の中で「大変なこと」のハードルが一気に下がって、大抵のことは乗り越えられるようになったと思います。

診療報酬改定(2018年)による衝撃と学び

小田切:メドレーに入社してからはいかがですか?

豊田:クラウド診療支援システム「CLINICS」に関して言うと、2018年の診療報酬改定(※)の時にかなり大変な思いをしました。

「CLINICS」は2016年の2月から提供を開始しました。。2018年の診療報酬改定までの1年半から2年ほどまでは、「オンライン診療がもっと適切に広がれば良い」という期待や夢を持ちながらCLINICSの普及に取り組んでいました。

ところが2018年の診療報酬改定は、それまでずっと「オンライン診療の規制が緩和される」と言われていたのに、実際は逆に規制を強めるような内容だったんです。

当時の我々の活動を振り返ると反省するべき点もたくさんあるのですが、診療報酬改定による規制緩和を期待して導入して頂いた医療機関からすると、蓋を開けてみれば「話が違うじゃないか」ということになってしまったわけです。

その当時の事業責任者であった私は、3か月くらいの時間をかけて医療機関に説明をしたり謝罪をしたりと回りました。その時の記憶があまり無いくらいに、かなり大変な思いをしました。

※2018年の診療報酬改定…「オンライン診療料」と「オンライン医学管理料」が初めて創設。ただし、対象となる患者が生活習慣病管理科やてんかん指導科などの管理料を算定しているごく一部に限られていることや、同一の医師による一定以上の対面診療が必要であることなど、要件がかなり厳しい内容となっていた。

小田切:なぜ、オンライン診療の規制緩和の方向性がズレてしまったのでしょう?

豊田:要因については色々あると思います。いずれにしろ「なぜ規制緩和が必要なのか?どう普及させるのか?」といった議論を、医療界の関係各所でもっと成熟させなければいけなかったのだと反省しています。

私たちはオンライン診療の有効性を説いていますが、対面診療が不要だと言ったことは一度もありません。「オンライン診療という選択肢があったほうが良い」と考えているんです。でも、そのことだけを主張してばかりいると、医療界からはディスラプター(Disruptor:破壊的企業)のように見られてしまうわけですよね。

医療界のような規制が強い分野において、事前に関係各所の理解が不十分な状態では、パラダイムシフトが起きづらいことを学びました。

小田切:オンライン診療に対しては、医療の現場からはどのようなリアクションなんですか?

豊田:以前はドクターが10人いるとすれば、うち賛成が1-2人、反対が4人、そして様子見が4-5人という具合でした。ところが今は新型コロナ禍になったことで、かなり状勢が逆転しているように感じます。

いずれにしろ2018年当時のことを反省するならば、当時は関係各所との対話や議論をもっとすべきだったように思いますし、その事をきっかけとして、以降はそういったコミュニケーションを重視するようにしています。

医療界にパラダイムシフトを起こす   

小田切:クラウド診療支援システム「CLINICS」は現在、2千以上の医療機関が導入しており、国内トップのシェアです。2020年9月からは服薬指導などをオンライン上で行う薬局向けのシステムもスタートしていますが、現在のメドレーの事業で、最も豊田さんが力を入れていることを教えてください。

豊田:事業として表に出やすいのは「オンライン診療」や「クラウド型電子カルテ」といったサービスですが、これらの裏には「当たり前に使われているインターネットテクノロジーが医療現場でもっと活用されれば、患者さんも医療従事者も”楽”になる」という考え方があり、私はそれを大切にしています。

個々のサービスの成長はもちろんですが、これらのサービスが医療界に起きる変化もまた重要なんです。そういった意味で、医療界でパラダイムシフトを起こすきっかけ、風穴を作りたいと常に考えて行動しています。そしてそのような変化が起こることで、我々も含めた新しい未来をつくりたいと考えるプレーヤーに追い風が吹くと信じています。

小田切:なるほど。特定の事業に力を入れるだけでなく、医療界全体に対して目を向けて取り組んでいる、ということですね。ヘルステックを取り巻く政策や規制の現在の流れに対しては、何か思うことはありますか?

豊田:抽象的な一言になりますが「Don’tを決めてほしい、Doは決めないでほしい」と思っています。

もちろん医療という仕事では、患者さんの安全性を考えればやってはいけないことがあります。また、例えば民間企業が医療データを独占して暴利を貪るようなことも、医療の公益性を考えればあってはいけないでしょう。そういった部分に対して公が規制を設けることは必要です。

一方で「こういう風にしましょう」というDoの部分にまでも公が口を出してしまうのは、違うのではないかと感じています。

民間企業やベンチャー企業の価値は、いかに「今より良いものを作る」ことが出来るかにあります。ところが、公の規制がDoの部分にまで及んでしまっていることで、そうした企業の価値や革新性を削いでしまっている。これは、新しい企業の発揮できる価値や力を知らない人たちが規制や制度を作ってしまっているからではないでしょうか。

提言1.「Pay for performance」へのシフト

小田切:最後の質問として、岸田総理や厚生労働大臣に何でも提案できるとしたら、豊田さんだったら具体的にどのようなことを提案されますか?

豊田:1つは、現在の医療制度を「Pay for service(医療を実施した量に応じた支払い)」から「Pay for performance(医療の質に基づく支払い)」へ変えていくことです。

Pay for serviceの概念は日本の国民皆保険制度を支えているものです。ただ、これが作られたのは今から60年近く前の1961年のことです。当時は病の主流が感染症であり、提供すべき医療もある程度決まっていました。

国民が広く病気になる可能性がある、そして医療の内容が決まっているならば、提供した医療の量に従って報酬を決めればよい、という考え方で決められたのが、今も続く国民皆保険、診療報酬の仕組みなんです。

今の病院でも、患者さんを再診したり、色々な検査・治療等を実施したりすれば、その分が加算されて診療報酬を増やせます。要は、患者さんに病院に来てもらえばもらうほど、収入を得られるという仕組みになっているわけです。

この仕組みには問題点があります。それは、患者さんが病院に来なくても良いようにする取り組み、例えば予防のための医療や通院負担を減らすための医療をすると、診療報酬が減ってしまうことです。

このような診療報酬の構造上の問題があることで、医療現場では「業務を減らして効率よく診療する」という発想が生まれづらくなっています。このことが医療のDX化や、医療従事者の働き方を変えようとする動きを阻害する一つの要因にもなっているんです。

ですから、例えば「患者さんが病院に来なくても大丈夫な状態にした(治療した、予防した)」という成果に対しても、きちんと診療報酬を貰えるような仕組み、すなわち「Pay for performance」の概念を、日本の医療界は取り入れるべきだと思います。

Pay for performanceの概念がないままに、いくら医療現場が医療DXで生産性を向上しようとしても、その分のメリットを得られないのでは意味がありませんから。

提言2.医療情報の規格を標準化する

小田切:続いて2つ目のご提案について教えてください。

豊田:2つ目が「医療情報の規格の標準化」です。例えば「薬を朝・昼・晩の食後3回飲みましょう」という指示を出したいとします。いま使われている表記は「1日3回食後」や「朝食後・昼食後・夕食後」など、バラバラなんです。

薬の話はあくまで一例で、こういった規格の標準化が日本では行なわれていないために、例えば医療データを共有する仕組みを作りたいと思っても、規格が異なるデータ同士を一緒にすることが出来ません。

すると、国がビッグデータとして活用しづらく、先にお話ししたPay for performanceの仕組みづくりも難しくなります。

小田切:医療情報の規格の標準化は、民間からアプローチするのは難しいのでしょうか?

豊田:民間からは難しいというよりも、やはり国がやるべきことだと思います。Pay for performanceの仕組みづくりと関係があることからも分かるとおり、医療情報の規格の標準化は、日本の医療システムを根本から変えて強化する取り組みです。

国に本腰を入れて取り組んでもらいたいです。

小田切:国としてはどういう認識を持っているのでしょう?

豊田:医療情報の規格を標準化することの必要性は感じていると思いますが、進め方やスピードは遅いです。その原因の一つには、「どこまで国が介入していいのか?」という点が明確ではないことも原因としてあるようです。私としてはこの大きなテーマに対して国が積極的に取り組んで欲しいと感じています。

提言3.有識者会議に多様性を持たせる

小田切:最後に3つ目のご提案についてお聞かせください。

豊田:3つ目は、「有識者会議に多様性を持たせてほしい」という提案です。というのも、今の様々な有識者会議の顔ぶれを見ると、10年前からほとんど変わっていないんですよね。ジェンダーダイバーシティはもちろん、20代や30代の若い世代を入れるという世代の多様性も、有識者会議には必要だと思っています。

なぜ有識者会議には多様性が必要なのか。

特に医療界の場合は、国が示すガイドライン等が非常に効力を持つ世界なんです。にも関わらず色々なルールを作ろうとする時に、有識者会議のメンバーに偏りがあったり変化がなかったりすると、今日これまでお話してきたようなパラダイムシフトは起きません。

ルールが強い効力を持つ業界だからこそ、それを作る有識者会議には多様なメンバーが集まって、様々な視点から意見を出し合い議論をする。そういった環境づくりが必要です。

小田切:なるほど。多様な議論は医療界はもちろん、他の業界でも必要なことですよね。

豊田:そうですね。とりわけ医療界は、50歳代でも若手と言われてしまうくらい、いわゆる意思決定層に年代的な偏りがある世界ですから。意思決定層に若手が入り込むことは難しいとしても、意思決定の議論に若手を巻き込むことは出来るはずです。

小田切:最近でいえば、岸田総理が設置した「新しい資本主義実現会議」は、有識者メンバーの約半数近くが女性で構成されていますよね。このように、新しく作る有識者会議については多様性を意識したメンバー構成になってきましたが、そうではなく医療界に昔からあってメンバー構成が不変な有識者会議について、もっと多様性を持たせる動きが必要ということですね。

提言4.官僚の異動スパンを再検討

豊田:実はもう1つ、気になっていることがあるんです。それは、担当の官僚が短期間で異動になってしまうルールです。

特に医療の世界では、長い時間をかけて取り組まなければならない事柄が多く、人事異動が短期間だと積み上げてきた議論や信頼が無駄になってしまいます。

もちろん、官と民の間で癒着が生まれないための仕組みであることは理解しています。それでも民の立場からは、もう少し長い期間、同じポジションにいてもらいたいですね。新しく移ってきた官僚がせっかく取り組みにキャッチアップしたところでまた異動というのも非常にもったいないです。

小田切:それは厚生労働省に限らず、各省庁で課題として捉えられつつあることですね。実際に、例えば、経済産業省では大分変わってきていて、今ではジャネラリストに加え、ある程度の専門性を担保するという観点から、管理職でも同じ職場で3年目、4年目を迎える官僚も増えてきていると聞いています。

とはいえ、他の府省庁でも同様の動きが広がっていく必要がありますね。

豊田:それに任期が短いと「減点をしない働き方」を考えがちになるデメリットもあると思います。大きな取り組みに手を出そうとすると、どうしても時間がかかってしまい、自分が担当している間にはまず終わらない。そうである以上は、自分の任期中に無理してでも改革を行うとは普通は思いませんよね。

小田切:そうですね。とはいえ一方で、色々な職場で経験を積めることにもメリットはあるので、今後多面的に議論を積み重ねていく必要があると思います。

小さな「変化グセ」から、大きなパラダイムシフトへ

小田切:最後に、豊田さんから医療界に対してメッセージなどあれば、お願いします。

豊田いまの医療界には「変化グセ」がありません

しかし、変わることに慣れていないと、大きく変わることは出来ないわけです。ですから、まずは小さなことで良いので、改善や改革を積み重ねていく。そうすることで徐々に変化グセを付けていけば、やがては大きなパラダイムシフトを起こせるわけです。

そのためにはベンチャー含め企業が出来ることもあれば、国でないと出来ないこともたくさんあります。私も企業家として医療界のパラダイムシフトに向けて、出来ることに積極的に取り組んでいきたいと思っていますし、国には、国にしか出来ない取り組みを加速させることを期待しています。

小田切:国にしか出来ないことは国がやる。シンプルな話ですけど大事なことですね。本日はありがとうございました。

(インタビュアー:小田切 未来、執筆:小石原 誠、編集:深山 周作、デザイン:白鳥 啓、写真撮影:田中舘 祐介)

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