【令和×政策】「”全部”やっていくしかない」、竹中平蔵と考える”令和”の政策|後編

本連載『ミライのNewPublic』は、政策研究者の小田切未来さんがファシリテーターを務め、「将来の公共の在り方」を各分野の有識者・トップランナーと様々な観点で対談していく連続企画。

第七回目のゲストとして、国の「成長戦略会議」のメンバーでもあり、オピニオンリーダーとして様々な経済改革を唱え続けている竹中平蔵氏をお迎えしました。

後編では、ベーシックインカム、家族の在り方、地方と東京について伺います。

前編では、菅政権の振り返り、日本社会の構造的課題、働き方改革について深堀りしています。

「ベーシックインカム」の議論の重要性

小田切:日本ではここ数年で「格差」に目が向けられるようになってきました。

相対的貧困率がOECDの平均より高い中で、格差を解消する手立てとして「ベーシックインカム」の議論をまず始めることをご提案されていました。

竹中:格差の問題は正確に認識しなければなりません。「小泉・竹中改革で格差が拡大した!」とよく言われますが、そんなのんきな話ではないんです。

格差は1990年代以降、世界中でもの凄い勢いで拡大していて、むしろ小泉内閣の時は「格差が拡大しなかった」という世界で珍しい時期なんです。

世界で格差が拡大していることには、ちゃんと理由があります。「グローバリゼーション」と「デジタル化」が一気に進んだことで、それについて行ける人とそうでない人が生じ、その両者の間で格差が生まれ、拡大していってしまったんです。

昔から言われていることですが、技術の進歩には2つの種類があります。格差を縮める進歩と、格差を広める進歩です。

デジタル化はまさに後者で、パソコンやインターネットを駆使して一気に生活を豊かにしていける人がいる一方で、携帯電話さえ上手いこと使えない人がいます。GAFAのような巨大な企業も登場し、これから先も格差は広がっていく一方でしょう。

もちろん格差は無い方が良いです。ですが、ゼロにすることは出来ないというのも、厳しい現実です。

だからこそ、格差の拡大をなるべくカバーするために、沢山のチャレンジをしなければなりません。しかし、チャレンジには失敗のリスクが伴う。そのためのセーフティーネットとして、ベーシックインカムの導入を提案しているわけです。

ただ、ベーシックインカムについてお話をすると、右からも左からも批判を受けます(笑)

実は右からも左からも批判を受ける政策というのは「良い政策」であることの証明でもあると私は考えておりますが。

左からは「社会保障を節約するためだろう」と批判が出るのですが、それはベーシックインカムの金額をどうするかで、いかようにでも決まります。右からは「自助努力がなくなるだろう」という批判を受けますが、それもやはりベーシックインカムの金額次第です。

いずれにしろ、まずは各政党が選択肢を示して、国民が選ぶしかないですね。

小田切:最近は、特に新型コロナに対する取り組みで手一杯となっていて、社会保障に関する議論が進まない現実があります。

竹中:そうですね。

今後、政策議論で「日本の税制をどうするか?」という話も出てくると思います。日本の税制は累進課税を採用していますが、ある点から税制が急激に高くなっていく一方で、中間層に対する税率はかなり低い構造です。

それに対してベーシックインカムとはすなわち「所得が低い層に対する税率をマイナスにしろ」という話であり、累進課税の構造をならすことにもなるわけです。

こういった議論を包括的に行ない、この国の形を変えていくことをしないと「失われた30年」がもっと続いていくことになります。

「家族の在り方」と「国のかたち」

小田切:テクノロジーの変化の激しい中で、大きく社会が変化していると思いますが、「家族や結婚の在り方」について、ほとんど変わっていきません。

私は、Public Meets Innovationという団体で、昭和平成の家族モデルを超えた、多様な幸せを支える社会のかたちを模索するプロジェクトに構想時点のみ関与していましたが、最近では、「選択的夫婦別姓」を望む声なども少しずつ大きくなってきています。

竹中さんは今の家族や結婚制度について、どのようにお考えでしょうか。

竹中「家族」は社会の基礎なんです。

たとえば南アフリカ共和国は、国の予算の中で「教育費」を多く使っている国の一つですが、なかなか教育がうまくいっていない現状があります。これは家族が崩壊していることが理由なんです。

家族が崩壊してしまっているために、子どもを学校に送り出すことが出来ていない。学校教育をいくら良くしようとしても、家族が崩壊していては教育がうまくいかない訳です。

もう一つ特徴的な国にスウェーデンがあります。スウェーデンは第二次世界大戦に参戦しておらず、大戦後にヨーロッパ諸国が疲弊している中で、経済的にかなり潤った状況だったんです。その中で女性の進出も大いに進んだわけですが、(並行して男性の家庭参画は進まず、)家族が崩壊してしまいました。

離婚率や自殺率もトップレベルに高くなってしまい、国として悲惨な状況になってしまったスウェーデンで、1960年代に出てきたのが「国を家族にしよう」という考えです。これが、北欧式の公共福祉モデルの発端なんです。

要は、国のかたちというのは、家族の在り方が決めるものなんです。

ですから私見としては、夫婦別姓は当然、認めれば良いと思います。夫婦別姓を導入したとして、深刻な変化が起きるわけではないはずです。そもそも日本の伝統的な家族観においては、多くの負担が「結婚した女性」にかかってしまう現状があります。

夫婦別姓も含め、女性の立場を鑑みた「家族の在り方」を議論することは非常に重要です。

これからの「地方」と「道州制」の議論

小田切:竹中さんは、原英史氏との共著『日本の宿題(東京書籍2020)』の中で「地方」に関する議論も展開されています。

日本では地方創生大臣のポストを作っているのにも関わらず、根本的な現状の枠組みを変えていくような大きな動きが中々出てこないのが現状です。

これからの地方については、どのようにお考えでしょうか?

竹中:先に厳しい指摘をしておくと、これからの日本は人口がどんどん減るわけです

私の出身は和歌山ですから、地方の疲弊という現状も直に目にしています。今後20年の間で、地方の人口は2割ほど減っていってしまう。そうすると、いまある集落を維持することは難しくなるわけです。

ですから今後は、人口をどこかに集約させるというような、非常に思い切った政策が出てくるでしょう。

日本には昔から「国土政策」という言葉があり「国土の均衡ある発展」ということが、ずっと言われ続けてきた歴史があります。

ところで、なぜ「国土」なのか。「国民の均衡ある発展」ではなく、なぜ「土」という字があえて用いられているのでしょうか?

これは、日本の国土計画立案に大きな影響を与えてきた下河辺淳氏の仰られていたのですが「満州国経営から由来している」という説があります。

満州国経営においては、現地に人を送り込んで、人を「地面に貼り付ける」ことが重要視されました。地面に貼り付けるということ、すなわち人に「住み続けてもらわなければいけない」という発想が重視されたわけです。そのためにはインフラを整備したり、ユーティリティーを供給したりすることが必要で、この考え方が現在までの日本の国土政策においても用いられている、ということです。

ところが今後、地方の人口が2割も減っていく中では「国土の均衡ある発展」を続けていくことは困難になっていくでしょう。先に申し上げたとおり、人口をどこかに集中させたうえで地方を発展させていくという、国土政策の発想転換が必要になります。

それともう一つ、今は「東京一極集中」とも言われていますが、一方で地方には20数兆円という大規模な国の予算が、地方交付税交付金などとして使われている現実があります。実は、社会保障の次にお金を使っている分野が地方なのです。

安倍政権以降「地方創生」という言葉も使われるようになってきましたが、実はこれだけの規模のお金がすでに使われている。この現実を踏まえずに「東京一極集中」を批判して「地方にもっとお金を」というのは、実態に即していないわけです。

もちろん、地方は都市と比較して不利な面がありますから、それを補うようなお金の移転は必要でしょう。一方で、これからの地方創生には、地方自身が自ら努力できるような仕組みも構築していかなければいけません。

小田切:地方自治体の給付と負担を一体化させるという観点から、竹中さんは「道州制」についても各所で提言されています。それについてもお聞かせください。

竹中地方が本当に自立するためには、最低限の「人口規模」が必要だということは、昔から言われています。具体的にどの程度必要なのか、という点は意見が分かれるところで、10万人という試算もあれば、30万人という試算もあります。

仮に30万人として、人口およそ94万人の和歌山県を例にして考えてみると、県内に30ある市町村を3つにまとめれば良いことになります。ところが、そうすると今度は「県」というカテゴライズが中途半端になり、存在意義が薄れてしまう。

もちろん県というカテゴライズを取っ払って「国」と「都市」だけの構造で良いという考えもありますが、国を相手に30万人都市だけで交渉するのは難しいでしょう。それならば、より広範囲なカテゴライズを新たに設けた上で、地方分権化を進めれば良い。これが「道州制」なんです。

そして地方分権化を進めるにあたっては、税制についても考える必要が生じます。というのも現在は、納税される税のうち2/3が国税、1/3が地方税として納められている一方で、使い道は国の予算として1/3、地方の予算として2/3という割合になっています。つまり、負担と受益がマッチしていないわけです。この点についても改めて明確化しようという論点も、道州制について議論を進める上では重要だと言えます。

これからの「東京」が世界の都市と渡り合うためには

小田切:今度は「東京」についてもお聞きしたいと思います。

竹中さんは『ポストコロナの「日本改造計画」: デジタル資本主義で強者となるビジョン(PHP研究所2020)』の中で「東京独立」という野心的なご提言もされていましたが、そちらも含めてお話をお聞かせください。

竹中:地方自治法という法律の中では、地方の都市と東京を対等に位置付けていますが、これには明らかに無理がありますよね。

地方自治というのは、地方に住んでいる人々が安寧に住めるようにするためのもので、そういった視点は東京という街にも必要です。しかしそれ以上に東京は、日本という国の戦略都市としての側面も持っています。実際、財政力も大きいですし、戦略的位置づけも他の都市とは違います。ですからアメリカのワシントンD.C.のように、地方自治法から切り離した特別区にした方が良いと思います。

こう言うと「東京一極集中」だと批判されもしますが、しかし東京はシンガポールやソウルなどの海外の都市と競争をしなければなりません。そのために戦略基地をつくろうというのが「東京独立」という考え方なのです。

東京独立に向けてやれることはたくさんあります。

まず東京という都市は、多くの資産を持っています。これらをマーケットに開放すれば、資産市場が大いに活性化して、東京を国際的な金融センターにするきっかけになります。

それともう一つ、IRの誘致も有効な取り組みだと私は考えています。私自身はカジノは好きではありませんが、G7の中でIRがない国は日本だけですから。本当に観光立国を目指すのであれば、IRはかならず必要になります。

さらにIR誘致に関連して、なぜ羽田空港と成田空港を統合しないのか、と言いたいです。羽田と成田を統合してコンセッション方式により運営を民間に任せれば、東京の弱点であるアクセスの悪さが一気に改善すると思います。

小田切:竹中さんは、新幹線を羽田空港まで引っ張ることもご提案されていますよね。

竹中:はい。新幹線の車庫(大井車両基地)は品川駅の南に設置されていますが、これをもう数キロメートル伸ばせば羽田空港に届かせることができます。羽田空港に到着してすぐに新幹線を使うことができれば、交通の利便性は各段に向上するでしょう。

それともう一つ、静岡空港の滑走路の下に新幹線が通っているので、そこに駅を作ることも提案しています。静岡までは新幹線で1時間ほどですから、直接アクセスできるようになれば、静岡空港を東京の第3空港として機能させることができます。

小田切:アクセスの面でできることは多そうですね。ところで、森記念財団都市戦略研究所が昨年12月に発表した「世界の都市総合力ランキング」では、東京はロンドン、ニューヨークに続いて第3位でした。

上位2都市を追い抜くためには、具体的にどうすればよいのでしょう?

竹中:3つの取り組みが挙げられます。1つは「高すぎる法人税を下げること」。日本では実効税率が40%となっていますが、G7では「最低15%以上」という合意がなされていますから、半分くらいまでは下げられます。2つ目は「規制の緩和」、そして3つ目が「空港アクセスの改善」です。

森記念財団のランキングでは70の指標に基づいて順位付けを行っていますが、これら3つの取り組みをロンドンやシンガポール並みに遂行できれば、東京は1位になることができます。

小田切:「規制の緩和」について具体的にご教示ください。

竹中:いちばん分かりやすいのが「Uber」に代表されるライドシェアです。ライドシェアはここ7~8年で世界で最も成長している産業です。アメリカの「uber」、中国の「DiDi」、シンガポールの「Grab」、インドネシアの「Gojek」。Grabなんかは企業価値が4兆円を超えるともされています。ところが今の日本ではライドシェアは規制されているのが現状です。

ほかには、農業の規制緩和も重要でしょう。現在の日本では、株式会社が単独で農地を持つことができません。企業がもっと農業に参入できるよう、そこも緩和が必要だと思います。

これから活躍していこうとする若い世代へのメッセージ

小田切:最後に、これから日本や世界で活躍していこうとしている若い世代に向けて、竹中さんからメッセージをいただきたく存じます。

竹中:70歳にもなると、若い方たちを非常にうらやましく感じます。若い頃は時間が無限大になると思っていました。でもやはり、年齢とともに自分の時間が有限であることを段々と実感するようになってきています。つい先日、母親を97歳で亡くして。次は自分の世代だな、と思うようにもなりました。

若い方たちに一番伝えたいことは「人生、意外と短いぞ」ということです。

これはどういうことかと言うと、要するに「他人にどう思われるかを気にしないで、自分のやりたいことを思い切ってやる」ということが、ありきたりかもしれませんが、本当に重要だと思うんです。

かつて私が大蔵省の研究所を辞めた後、色々なところから誘われて迷っていた時に、二人の尊敬する先輩が同じことを言ってくれました。「竹中君の将来を思うと、どこの道に行けば良いか、心千々に乱れるんだけどもね。それはいくら考えたって結論は出ないよ。君が何をやりたいか、だ。今、君が何をやりたいか。それしかない」と。

尊敬する二人の先輩がくださった素晴らしい助言だと、今でも思っています。

ですから、今の若い方たちに対しても、同じことを伝えたいです。他人にどう思われるかではなくて、自分が何をやりたいか。その気持ちに従って生きてほしいと思います。

それと、もしパブリックなことに興味関心があるのならば、若いうちに、できれば30代くらいに、霞ケ関か永田町で1~2年ほど働いてみてほしい。パブリックの世界の風を感じてみてほしいです。

例えば、これは私が大学の授業での冒頭で学生に向けて問うことなんですが、次の文章の意味が分かるでしょうか?

「今日、つるしが降りた。しかし、今日はお経だけ。このままではシメソウは2週間後だ」

おそらく分からないでしょう。「つるし」や「お経」、「シメソウ」は霞ケ関や永田町の人々が使う独特な言葉遣いです。要は、霞ケ関や永田町というのは、それだけ閉ざされた世界だということです。

もちろん、こういったパブリックの世界に長く浸かっている必要はありません。ですが、もしパブリックなことに興味関心があるなら、ぜひこの世界を実体験してみてほしいと思います。そうすることで、政治に対する見方が大きく変わってきますから。

私も一回だけ選挙を経験し、幸いにも当選することができましたが、政治の世界の大変さを強く実感しました。当時の小泉首相に挨拶に行った際に、小泉首相がニコニコしながら「竹中さん、いい勉強になったでしょう」と仰ったのを今でも覚えていますよ(笑)

(インタビュアー:小田切 未来、執筆:小石原 誠、編集:深山 周作、デザイン:白鳥 啓、写真撮影:田中舘 祐介)

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